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●連載 許光俊の言いたい放題 第93回 <HMV・JAPANホームページから転載>

あいかわらず行ききれないほどコンサートやオペラが集中する東京の秋である。

 目下いちばんの話題は久しぶりに来日したアーノンクールだろうが、私も先日聴いてみた。そのうちちゃんとした文章を書かなくてはと思っているが、個々の演奏云々より何より、あの人が、カラヤン的な豪華で滑らかで上手で高級で国際的な行き方のアンチテーゼだということが、日本の聴衆にもよくわかったのではないだろうか。つまり、粗くて、荒々しくて、ダサくて、下手で、ローカルなのである。カラヤンがプロ中のプロなら、アーノンクールはスーパー・アマチュアである。そんな人が世界的に注目され、スターにされてしまった、なってしまったというのがすごいことだし、注目すべきことなのである。間違いなく現代を反映している。

 私個人としては、『世界最高のクラシック』でも書いたように、そうした彼の存在の意味深さを認める点では人後に落ちないけれど、ではあの音楽が大好きかと訊かれたら、うんとは言わない。ベートーヴェンの交響曲第7番では、怪しいおじさんが大騒ぎしているような指揮ぶりを見ながら、同じように熱気をはらみながらもカルロス・クライバーはなんと優雅で洗練されていたのだろうと懐かしくなってしまった。

 それにしても、川崎のホール、ミューザ川崎は音響がクリアなゆえ、演奏家のボロをも克明に聴かせてしまう点では残酷かもしれない。

 アーノンクールについて書きたいことは他にもあるが、実はその数日前に聴いた井上喜惟指揮ジャパン・シンフォニアの演奏会が、ちょっとすごすぎた。曲はシベリウスの交響曲第2番。井上にとってもオケにとっても、今まで最高の演奏だった。弦楽合奏は耳を疑うほどに重厚で、高級な木材のような重量感がある。しかも、濁っていないで、音の動きは実によくわかる。管楽器の音色もバランスもいい。日本のオーケストラにありがちな水っぽい、押せばへこむような頼りなさとは正反対。はっきり言って、アーノンクールが指揮するウィーン・フィルの響きよりずっとずっと立派である。そして、遅いテンポでじっくりと駒を進めていくような音楽作り。恐るべき重厚さ、雄大さ。安っぽい感情移入はゼロ。シベリウスの第2番というと、どうしても軽薄というか、ロマン主義に迎合した感じがするが、この演奏だと違う。5番や7番みたいに、シベリウスならではの個性が生々しく聞こえてくるのだ。ここのところ多忙で彼らのコンサートには行けなかったのだが、久しぶりに聴いて心底驚いた。まあ、ウィーン・フィルよりずっとよかったとか何とか、私がいくら褒めたところで、たぶん読者には信じられないだろう。それも当然だ。自分の耳で聴いてみないことには、あの充実した音楽は想像できない。

 地味なプログラムのせいか、客席はすいていた。こんな演奏がたった一回、これだけの客が聴いただけで終わってしまうなんて、もったいないとしか言いようがない。こんなにいいとわかっていれば、友人知人の首に縄を結びつけてでも連れていくべきだった。

 幸いドイツの大手製薬会社がジャパン・シンフォニアのスポンサーになってくれたらしい。有名なものにしか金を出したがらない日本のメセナは、まだまだレベルが低い宣伝活動にとどまっている。

 許光俊(音楽評論家、慶應義塾大学教授)

 

●克服できるか?日本のオーケストラの弱点〜井上喜惟とジャパン・シンフォニアの挑戦

(池田卓夫=日本経済新聞社文化部編集委員)

昨年4月24日、晴海トリトンスクエアの第一生命ホールで井上喜惟指揮ジャパン・シンフォニアの実演を初めて聴いた。曲目はフォーレ、ラヴェル、ルクー、ストラヴィンスキーとパリで活躍した作曲家で組まれ、演奏会の直前に亡くなった井上の師の一人、ガリー・ベルティーニ(東京都交響楽団の前音楽監督)が得意としたレパートリーでもあり、結果として追悼公演となった。冒頭のフォーレの「ペレアスとメリザンド」組曲が鳴り出した瞬間、日本のオーケストラには稀なほど美しい弦の音色と質感に、びっくりした。

その前の数週間、日本各地のオーケストラが演奏するベートーヴェンの交響曲を聴いては失望する経験を重ねていた。ピアニシモは緻密に締まり、美しい響きがホールに広がる半面、フォルテシモになると力みかえり、汚い音で固まり、激しく体を動かせば動かすほど響きが痩せていく。日本人の楽員、聴衆の双方になじみの深いベートーヴェンだから、熱演力投に徹すれば、ブラヴォーがとれると思っているのだろうか?何年か前、日本のオーケストラを定期的に指揮していたネーメ・ヤルヴィに話を聞いた時、「芸大、桐朋など音楽大学の枠を超え、日本の弦楽器奏者全体に共通する不思議な奏法を変えていかない限り、これ以上の弦のパワーは出ない」と指摘された。マエストロいわく「楽器の質が世界の名門楽団に比べて劣るのは、歴史の浅さから言っても仕方ないが、弓を弦に強い力で押し付け、楽器の共鳴とホールに広がる倍音の両方を犠牲にしてしまう奏法は日本独特。オーケストラのパワーは弦の絨毯の厚さで決まり、管楽器はその上に花を添える存在。何よりも先ず、奏法を改善してほしい」。ベートーヴェンの力演は、日本奏法の悪しき典型だった。

井上とジャパン・シンフォニアは、日本奏法の悪しく“伝統”に汚染されていない。少なくとも、そのアンチテーゼを目指しているように思える。かつて岩城宏之が「日本の楽団の悪弊を断ち切る」との意気込みでオーケストラ・アンサンブル金沢を組織、目覚しい成果を上げたように、井上とジャパン・シンフォニアにも既成概念を超えたアンサンブルを究めてほしい。今回のマーラー「交響曲第四番《大いなる喜びへの賛歌》」ではソプラノ独唱に蔵野蘭子を迎えるが、蔵野もまた「日本人声楽家」の美点を備えつつ、国際水準の歌唱を聴かせる逸材である。昨年11月に東京、12月に名古屋で二期会が上演したワーグナーの「さまよえるオランダ人」(渡辺和子演出)のゼンタ役において、傑出した演技力も披露、近年とみにドイツ流のムジークテアーター(音楽劇場)様式を志向するようになった日本オペラ界の未来を担う存在であることを印象付けた。井上と蔵野、未来志向の音楽家二人の出遭いという点でも、楽しみなマーラーだろう。

(2006年4月29日開催・第6回定期演奏会に寄せて)